私は、だいぶ前から、「誰かが何かをした」という考えをやめ、「誰かが何かをしたということが、自分に起こった」と考えるように変えました。これで、全てが大きく変わります。主語が違うのです。「誰かが何かをした」は、それをした人が主語ですね。でも、「誰かが何かをしたことが、自分に起こった」と考えれば、起こったことが、主語になります。
「誰かが何かをした」という考え方は、それが自分にとっていいことであれば嬉しくなり、感謝するのですが、それが自分にとって悪いことだと、怒りが生まれ、その人を恨むことになります。
それを、「誰かが何かをした」ということが自分に起こった、或いは、自分に与えられたと考えるのです。いいことも悪いことも、です。自分に起こったことなので、それを恨んだり、文句を言ったりすることができないのです。もし、言うとしたら、神様に文句や不平を言うことになる。よほど、辛い思いを体験すると、なんで私がこんな目に遭うのかと、神様を恨みたくなることもあります。でも、この自分に起こっているという考えをいつもしていると、何が起こっても、受け入れるという気持ちが、強くなっていきます。何が起こっても受け入れる用意があると、将来に対する不安がなくなります。その平安な心が、さらに、いい未来を引き寄せるという、好循環が生まれるのです。
神様が起こすこと、もしくは、宇宙の法則で起こること、には全て意味があります。世の中には、偶然もありません。起こる必要のあることが起こる。その時、自分にとってとても悪いことが起こっていると思っても、それは、長い目で見れば、いいことなのかも知れないのです。むしろ、起こることを素直にいけ入れて、その先にあるものを目指せばいいのです。それがわかれば、とても楽になります。
別の言い方をすると、起こることに、いいことも悪いこともない、ということになります。























































































































